伊奈冨神社(いのうじんじゃ)

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神社由緒

 

御祭神

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御神徳

  • 稲生の大神と称える保食大神は一切の食物をつかさどられ、ことに私たちの命の根元たる稲の生産豊穣を守護される神様であります。その御神徳の及ぶところ広大無辺にして五穀豊穣、諸業繁栄、商売繁盛、家内安全、厄除開運、良縁成就、学業成就、病気平癒等の御霊験あらたかな大神様であります。

 

御由緒

  • 当神社は社伝によれば、神代、東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に御神霊が出現せられ、今より遡ることおよそ二一〇〇年の崇神天皇五年、霊夢の神告により勅使参向のもと、「占木」の地にて社殿造営の地を占われ、神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社を鎮祭されました。その後、仲哀天皇の御子品屋別命の子孫(磯部氏)が代々当社の神主として仕え(※1)、雄略天皇五年には数種の幣物が奉納され、主祭神保食神には「那江大国道命」の御神号を賜りました。降って奈良時代天平年間、行基上人が別当寺の神宮寺を建立され、更に平安時代天長年間には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して三社の本地仏を祀り、獅子頭を奉納、七島池を一夜にして造られたと伝えられております。貞観七(八六五)年四月、正五位上より従四位下に進階し(三代実録)、延喜式内社に列せられております。当時の神領は東は白子、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な面積でありました。鎌倉時代中頃には正一位に進階し、文永十一(一二七四)年三社それぞれに勅額を賜りました。以後「正一位稲生大明神」として武門武将の尊信篤く、ことに鎌倉将軍惟康親王は神田二百二十町歩、北畠国司は社領千石御供田十二段を寄進せられ、また江戸時代元文年間には、紀伊徳川家より造営料銀二十二貫を賜り、三社の大造営をなしております。明治期に入ると明治六年に郷社、同三十七年に県社に列せられましたが、戦後この制度は廃止され現在に至っております。

    ※1 現在も「社家」と呼ばれるその家系が残っております。

 

文化財

 

獅子舞

  • 県指定無形民俗文化財

    当社の獅子舞は、凡そ千三百年前、壬申の乱後天武天皇が戦勝報賽に獣神を埋納されたことを起源に、凡そ八百年前の平安時代天長年間には弘法大師が参籠の折、獅子頭を奉製され、また承安四年には高倉天皇が四頭の獅子頭を奉納され、この頃に始められたとされます。また、当社に残る鎌倉時代の弘安三年(一二八〇年)の銘が入る獅子頭は全国的にも珍しく、このような確たる歴史的由緒のままに、この稲生の伝統として今日まで受け継がれています。
    この伊勢地方には多くの獅子舞が残されていますが、取分け伊奈冨神社の獅子神楽は歴史も古く、北勢・中勢地方の獅子舞の発祥ともいわれています。江戸時代には北勢から中勢、遠くは伊勢まで巡業し、「稲生の獅子舞」としてその名を轟かせていました。現在、桑名の大神楽は全国的に有名ですが、この大神楽も元は稲生の獅子舞から学びとって始められたものといわれています。また、昭和初年までは山本町の椿大神社、一宮町の都波伎奈加等神社、下箕田町の久久志彌神社等の獅子が、当社の春の大祭に一堂に会していました。昭和三七年に県の無形民俗文化財に指定され、現代に於いては平成五年三重県主催の「世界祝祭博覧会」に、平成九年民俗芸能公演「獅子が舞い、シシは踊る」に東京の国立劇場にて出演しました。
    古来より三年に一度、即ち丑・辰・未・戊の年の二月上旬より四月中旬まで行われ、大宮・西宮・三大神・菩薩堂という神の化身たる四頭の獅子が、扇の舞、花の舞などの舞を約90分かけて舞わします。獅子神楽を行う人を神役といい、従来は伊奈冨神社に縁の深い社家が主体となっていましたが、平成三年からは保存会も結成されて伝統ある神事芸能の保存に努めています。

    伊奈冨神社獅子神楽 平成30年 舞年については、こちら︎▶

  • 獅子舞1
  • 獅子舞2
 

扁額

  • 三面 国指定重要文化財

    当社が正一位に進階した際賜った木造の額で、三面とも「正一位稲生大明神」と大書されている。夫々書体が異なり、大宮は楷書、西宮は行書、三大神は草書で書かれており、文永十一(一二七四)年世尊寺流第九代の藤原経朝の作である。

    扁額
 

神像

  • 国指定重要文化財

    崇神天皇像と目されるもので、平安時代後期の作。高さ五三㎝で冠を被り、袍を著け、笏を持っていたらしく両手を胸前で組んだ座像で眉目をつりあげた容貌は神威を表現している。肉身を淡朱、衣を朱、冠を黒の色彩がほどこされた楠の一木造である。この他に三社の随神像や狛犬が十五躯残されている。

    神像
 

能面

  • 二面 県指定文化財

    黒色尉と白色尉があり、室町時代の作。雨乞神事に用いられた。

    能面
 

獅子頭

  • 一躯 県指定文化財

    頭頂部胎内に「弘安三年(一二八〇)」の銘のある県下最古の獅子頭。行道面として用いられたと考えられる。

    獅子頭
 

勢州稲生村三社絵図

  • 勢州稲生村三社絵図 一幅 県指定文化財

    室町時代末期の作。作者は不詳であるが、土佐派の流れを汲む。絵図には大宮・西宮・三大神の社殿を中心に、境内の勅使殿(国司参向のものか)菩薩堂や七島池の他に周辺の神宮寺、東國岡、稲生城、弘法の井戸等が描かれ、当時の様子を窺い知ることができる。

  • 勢州稲生村三社絵図
 

三足壷

  • 三足壷 一個 県指定文化財

    当社に伝世された鎌倉時代の壷で、神輿の渡御に用いられている。胴部に墨書で「嘉禎二年壬申白子八郎兼文従士為向後所奉之也」と記されている。

    三足壷
 

七島池

  • 県指定名勝

    参道南側に七つの島を浮かべた全長七二mの細長い神池がある。弘法大師が一夜にして掘られたとの伝説が残され、その様相は大八洲(日本の美称)をあらわしたものなど諸説が伝わる。九州・宇佐神宮の神池と類似した直線多島式で、日本庭園の原型とも評されるほど素朴な様相の古代庭園。神池には七不思議があり、そのひとつに池の水は眼病・いぼ・ほくろに効くとされ、治癒のお礼には鯉や亀を奉納する習わしがある。現在、島の修復を行っている。

    七島池
 

むらさきつつじ

  • 県指定名勝

    境内は一名つつじ山とも呼ばれ、全山数千本といわれるむらさきつつじ(和名・コバノミツバツツジ)が群生している。
    つつじの高さは三m余りに及ぶものが無数にあり、四月上旬から中旬にかけての開花期には紫雲がたなびくような美観を呈する。
    「つつじまつり」の詳細はこちらをご覧下さい。

    むらさきつつじ


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